ラマダーン・カリーム
ラマダーンが始まった
ぱらまるさんは無職だが、まあまあ海外の友達がいる。
「ムスリム」は厳密にはアラビア語で「男のイスラム教徒(単数形)」であり、「女のイスラム教徒(単数形)」は「ムスリマ」だ。だからポリティカル・コレクトネスの見地から言えばムスリムという言い方は微妙だが、まあいいことにする。
さて、なぜムスリムの話かというと、ラマダーンが始まったのだ。
イスラーム圏ではもちろん現在は西暦も併用されているが、イスラーム暦(ヒジュラ暦)という独自の暦をもつ。この暦は、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ移った(聖遷=アラビア語で「ヒジュラ」)、西暦622年を元年とする太陰暦である。
太陰暦は月の満ち欠けを基準としており、1年が354日となるので、我々が日常的に使っている暦とはずれが生じる。(ちなみに2019年5月現在はヒジュラ暦1440年だ。)
「ラマダーン」とはしばしば「断食」という意味だと誤解されているが、「ヒジュラ暦の9月」を意味する語である。(断食はアラビア語で「サウム」という。)
楽しいラマダーン
近年では日本でもハラールのレストランが増えたり、空港では祈祷スペースが設けられたりもしている。
「ラマダーン」という言葉もまあまあ浸透してきた。
しかし、ラマダーンについてはまだまだ誤解が多いように思われる。
衝撃的であったのは、知人が言った「ラマダーンって、1か月ずっと断食するんだよね?大丈夫なの?それってやばくない?」というものだ。
やばいのはあなたの常識である。
断食するのは日が昇っている間である。
(食事はもちろん水を飲むのもいけないというのは結構きつい。)
日が沈むと存分に食事をとるのだ。
前述したとおりヒジュラ暦は毎年10日ほどずれるので、夏がラマダーンと重なると結構まじできつい。日が長くなるからだ。
ぱらまるさんはちょうどラマダーンの時期にシリアとトルコにいたことがあるが、日が沈むとそれはもうすごいのである。
聞いた話によると、ラマダーン中の方が他の月よりも食費がかさむそうだ。
ラマダーンの夜は毎日祭りなのだ。
トルコの友人宅に泊まった時、ぱらまるさんはムスリマではないので、断食の義務はなかった。しかしせっかくなのでムスリマの友人らと一緒に断食したところ、大変だったが(8月だったので超つらかった)かなり達成感があった。
ひとそれぞれ
ラマダーン中は断食をするだけではない。
煙草をやめたり、性交渉を控えたりといった、断食だけでなく自分の欲望をおさえることが重視される。
(もちろん、断食については旅人やお年寄り、子どもなどはこの限りではないとイスラームの教えに明記されている。)
ラマダーンは、預言者ムハンマドに天使ジブリールを介してアッラーの啓示が下された、聖なる月である。
人間である以上さまざまな欲があり、罪を背負うが、それらをラマダーン月に清めようという考えがある。飢えに苦しむ人に思いをはせ、貧しい人への施しも重視される。
とにかくラマダーン中はなんだかみんな敬虔になるのである。
一方で、もともとものすごく敬虔なムスリムはもちろんたくさんいるのだが、そうでない人もいるわけで、厳格・敬虔という言葉だけで彼らを捉えてはならない。
ラマダーン中は”PLAY BOY”が”PRAY BOY”になるという冗談もあるそうだ。
イスラーム圏においても、イスラームの教えを厳格に守る人、神の存在は信じるが教えは実践しない人、無神論の立場に立つ人など、ぱらまるさんはさまざまな人に出会った。
ラマダーンを大切な時として過ごしているムスリムのことはもちろん尊重せねばならないが、同じムスリムでもさまざまな立場、主義の人がいることも忘れてはなるまい。
いずれにせよ、